ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(ネタバレ注意です。) 2005-01-08 19:49:08

 この映画は良くも悪くも「名画」である。とにかく絵が美しい。特に20年代の描写は素晴らしい。また音楽が素晴らしい。この音楽のせいで三割は素晴らしさが増している。

 映画のテーマ音楽を町の少年が演奏するシーン。暴力のシーンや愛のシーンなどシチュエーションによって明確に使い分けられる音楽。少年の性の目覚めや友情や初恋。ドミニクが死ぬシーン。結局私はああいうシーンに弱いのだ。「? slipped・・・」とがっくりうなだれ絶命する少年。一人でそれを見て涙ぐんでいる自分がいる。
 
 いい加減にしろと言いたいくらいの正攻法である。だがそう思いながらも私は感動せずにはられなかった。この辺の感じも『名画』の条件を満たしている。

 またこう書くと語弊があるが、この映画は「劇画」なのであって徹頭徹尾「男」の視点から描かれていることも『名画』らしい。男は悲しい生き物だなあと見ていて再確認できる。面白いのは、映画がだんだんと過去から現在に近づけば近づく程、面白くなくなることだ。幻想の20年代があくまで見事なのであって、その後始末は苦い。アメリカ人にとっても、20年代は遠い昔の幻想の時代なのだろう。それを的確に描くのが憎い。

 私の心に残ったのは、ドミニクが殺されるちょっと前の町の風景の美しさ。ヌードルスとデボラの出会い、初めてのキス、そして別れのシーン。事実上このシーンが映画のクライマックスだと言っていい。恥ずかしいほどに典型的だが、監督の狙い通りの感動を私は覚えた。

 ここで休憩になり、後半は次第に現在(と言っても六十年代なのだが。)での話しになるが、悲しい位にあの素晴らしい幻想、恥ずかしい位の劇画の雰囲気が消えていき、夢が崩壊していく。しかしそれでも見る気を失わなかったのは、この幻想が剥げていくシーンにもいくつか美しいシーンがあるからだ。(ヌードルスが息子に対面するときの息子の表情)
 そして、あの黄金の二十年代の愛も憎しみも色褪せざるをえないのだ、という必然性を感じさせるからである。

 誰であれ、人に話すのが恥ずかしいような失敗や成功、強い感情の記憶があるだろう。だが昨日、あなたはどのように生きただろうか。十中八九ごく普通の白々しい日常を生きたはずである。「生きる」とはそうしたものなのだ。だから私は夢が白けていくのをきちんと目撃することにした。このあたりの冗長さ、律儀さも『名画』である。私がプロデューサなら、後半はばっさり切ってしまい、もっと盛り上げるストーリーに変えるだろう。

 名画は正月にだらだら見るのが正しい見方である。私もいい正月をこの映画のおかげですごすことが出来た。正月は本当はそこそこ有名な邦画をみるのが一番あたりの確率が高いのだが、この映画にして良かった。

 世間で言われているほど完成された映画でもないし、傑作でもないが、一度は見るべきなことは確かな映画だ。その辺もしつこいようですが「名画」なのである。