塾の思い出あれこれ 2005-01-07 20:49:04

 高校時代は予備校に行かなかった。私が通った塾は、小学校の時ちょっとだけ行った日能研と中学校のときに通った市進予備校だけである。こうやって実名を出せるのは二つともほとんどいい思い出ばかりだからだ。通っている時は面倒で嫌になる事もあったが全体で言えば行って良かった。

日能研

 私が通ったのは週一回の数学の補習クラスであった。つまりお試しコース。日能研に普段通っていない生徒もどうぞというクラスである。だから私以外は皆日能研に通っている人ばかりだったので最初は疎外感があり寂しかった。だが小学生だったので段々とそれなりに溶け込めた。

 残念なことに急に週一回だけ数学の授業を受けたからといって、数学の成績が上がるわけもない。その授業でやった分はいいだろうが、その場限りである。家で勉強する習慣がついていないのだからほとんど定着せず焼け石に水であった。だが先生の印象は今でも強く残っている。

 その授業の先生は、本業があるのに講師もやっている変わった先生だった。ものすごく熱心なのだが絶えず生徒を笑わせ、それでいて集中力を維持させる人であった。そういう人に会えただけでも幸運だ。その先生がちょっと話す自分の失敗や仕事の話がかなり印象に残っている。

 その先生は、私立の中学校に行って勉強することが人間的にも学力的も大きなメリットだという信念を持っていた。そのせいか今の私も、中高一貫校できちんと(受験のテクニックなどという無駄を省いて)勉強した方が楽しいと思っている。

 今の公立の義務教育は、前も書いたように、成績が悪い人と成績が良い人をうまくカバーできていない。そこには先生の熱意だけではいかんともしがたい制度上の問題がある。その点も私立ならばそれなりに対応できているのではないか。無論、学校によりけりということは承知だが。


 市進予備校

 中学校に入ると、地元の市進予備校に通うことになった。まあ学習する習慣が身についていないのだから成績は下がる一方であったが。それでも楽しい思い出がある。特に楽しかったのは国語の問題文だ。授業というより問題文を読むのが楽しかった。中学校の問題だから大学入試のようなひどい評論文の暗号解読のような問題は少なく、問題文もバラエティに富んでいた。

 自分で好きな本を読むのとは違う集中度で文章を読む経験は有益だった。多分数学や英語が好きな人は、そういった科目でも同じような経験をしたのだろう。だが私は国語だけが得意だったので、国語からしかいいものを引き出せなかった。

 そういえばアメリカ留学から帰ってきたばかりの若い先生がいて、その先生の英語の授業は面白かった。あっちの子供が、「stop it」を「stopy」と勘違いしていたとか、ホームステイ先のおばさんが過去形と過去完了など時制がばらばらだったので文法を教えてあげた、とか直接受験には役立たないエピソードが記憶に残っている。もちろん、その先生は思想教育のようなことはしなかったし、授業の中だるみを防ぐ意味もあって、授業の邪魔にならない範囲でそういう話をしていただけである。

 なかなかきちんと活用すればいい塾だったと思うが(受験のというより、勉強のという意味で)、いかんせん、予習も復習も一切やらない自分には猫に小判であった。そういう意味でも「人間的な教育」は塾には無理だし、する必要もないのではないか。それははっきり言って親の仕事であり、親の言いつけに徹底的に抵抗する子供(私)は、塾の言うことなど聞くわけがない。無理に聞かせるとなると、洗脳に近い教育が必要になるだろう。そんなものはごめんだ。

 親がするべき仕事を家庭外で矯正するとなれば、引きこもりや不登校の児童が行くフリースクールに似たような教育が必要になる。そして勉強を熱心に教えるのは「それから」であって、決して平行して出来るものではない。

 振り返ると市進予備校の先生で特に熱心な先生は、僕にいろんなヒントやサインを送ってくれていたが、結局僕はそれを受け止めることが出来なかった。僕は何で勉強をやらなくてはいけないのかわからなかったし、やりたくてもやり方が全然わからなかった。でも、やろうという気持ちがなければ、先生のサインも無意味なのだ。このことは繰り返してでも言いたい。

 それなら私立幼稚園・小学校に入れればいいのか、という話になるが、いかがなものか。私立の幼稚園・小学校を何の否定もしないが、もし親が、家庭でするべき教育まで学校に求めて私立に入れたがっているのであれば本末転倒もいいところだ。まずは家庭での生活習慣を身につけさえすれば、勉強などいくらでも取り戻せるし、塾も有効に利用できる。

 僕はどうにかこうにか私立高校にもぐりこむことが出来たが、結局高校時代には予備校には行かなかった。中学時代以上に勉強への意欲を失ったからである。本を読んで知識欲を満たすことのほうが楽しかった。

 それでも一度、大手予備校のパンフレットを入手して内容を見たことがあった。自分なりに少し焦っていたのだろうか。だが「マドンナ先生」だの、金髪に染めた中年親父だの「カリスマ」だの鬼面人を驚かす(手の内が見え透いた)講師と、そういう講師に惹かれてしまう不安を抱えた受験生、そういう構図すべてが嫌になった。

 今振り返れば、そういう構図はあくまで一部分でしかなく、まさにそういった「表層」だけに囚われて拒絶してしまう態度は、そう言った表層に惹かれて予備校に通う不安な受験生と同一の底の浅さがあるわけだが。

 やはり予備校はいいや、と逃避してしまった。勉強は嫌いだが、学問は嫌いではない、という矛盾が自分にだんだんと突きつけられていたのだが、そのあと大学を出てしばらくするまでそれに明確に対面することを避け通した。

 情けない話だが、今こそ本当に「先生」に教えてもらいたい、塾があるなら入りたいという気分である。親は僕を塾にも学校にも入れてくれたが、大部分を無駄にしてしまった。大学には六年も通う始末だ。もういい加減親を支えていくべきなのに、就職もしていない始末である。

 大学院に行きたいと思って勉強しているが卑下ではなくて程遠い。苦悩というと大げさだが、悩んでいることは確かだ。その原因、自分の中の矛盾が、中学校通っていた塾のときからあったのだなあ、と再確認した。

 塾の思い出からだんだん違う話になってきた。塾の思い出はこういう話だけではなく、いろんな奇妙な生徒たちの思い出でもある。また、大学時代からある哲学の塾に数年間通うことになり、それもまた僕の人生に大きな影響を与えた。それも是非語りたいが、またの機会にしよう。