「sophei's world」を読む。 その一 2005-01-09 08:50:46

ソフィーの世界の英語訳を通勤の電車の中、休み時間などにちょっとづつ読み進める。子供向けの哲学の解説本なので、それほど目新しいことは書いていない。せいぜい英語表記のギリシャ人の名前をみて、例えば「アナクシマンドロス」はこういうつづりだったのか、と感心するくらいか。

(余談だが中国の近現代を舞台にした英語の本を読むと、全く人の名前がおぼえられなくて困った。発音を英語化した中国名はさっぱりわからない。漢字だとすぐに覚えられるのだが。周恩来蒋介石毛沢東も、その英語での表記の仕方など知らないから、歴史のドラマを感じるべき場面もこれは誰なのかな、と調べて読み返すのでは面白さが半減である。)

また、今のところ万物の原理を「水」としたタレスから、原子論のデモクリトスまでより正確な世界観に発展していくという進歩史観なのも、哲学にある程度以上知識がある人にはいらだたしい通俗的な見方だ、という気もする。

僕はあの先生ならば評価しないだろうなと思いなが、メインの目的は英語の勉強だからと自分に言い聞かせて読んでいる。それに、子供の時に自分が読んでいれば、十分楽しめているとも思う。そんなに世間で言うほど悪くはない。

いいと思うのは、ソフィーが謎の哲学者の示唆を受けて、「自分がもしギリシャ人のように、今の知識を与えられず自分の目だけで観察するしかなかったら自然をどのように考えるか」といったことを考える点である。

私は勝手に著者のゴルデル氏をドイツ人だと(名前のいかめしい語感だけで)思い込んでいたが、アマゾンのレビューによるとノルウェーの人だという。あれっと思ってペーパーバックの著者の名前のつづりを見ると、確かに「ゴルデル」とはドイツ語風では読めないようだ。ということは原作はノルウェー語で書かれたのだろうか。

ノルウェー語で書くくらいなら最初からドイツ語で書くということもありうるだろう。言語的に近いし、哲学の先生をしていたのならドイツ語が出来てもおかしくない。

しかしデカルトならともかく、カントやヘーゲルはどう扱うつもりなのか。それともイギリス経験論のほうを重視するのだろうか。楽しみにして、今日一日ずっと読むことにしよう。



とにかく英語に大量に接することが出来るのがうれしい。