仕事2005-01-24 22:50:32


 自分で仕事を見つけることを目指すと言っても、実践は難しい。上司からは、段取りが出来ていない。場当たり的に仕事に取り組んでも効果がないといわれた。これはよく昔から言われていて、悩んでいることの一つである。

 帰りにビジネス書のコーナーに行き、いろいろ物色すると、段取りの重要性を説いた本が実にたくさんある。段取りが重要だというのはわかった。しかし実際にどうすればいいのだろう。
 いろいろ立ち読みしているうちに、興味深い論点に出会った。

 ・仕事をどのようにやっていくかどうか、自分の価値観で判断していないか。それは、あなたの仕事を直接評価する上司の価値観で行うべきなのである。

 ・仕事の大事な能力は段取り力であり、それは口で教わるよりも、実際に手本となる人を見て「まねる」「盗む」べきである。

 仕事は他人にどんどん割り振るなど、実践的な方法は、これらの主張から導かれる系列に含まれるだろう。

 拙劣な自分の経験と価値観だけで、不器用に規則をあれこれ立ててみて行動するより、自分が上司ならどう行動するか、上司は自分に何を求めているのか、を大局観として得たうえで、実際の行動を起こしていくほうが確かに上達の道につながると思う。

 上司も、以前仕事は教わるのではなく、見て盗むものだ、という風に私に注意していた。与えられた指示をやるだけではバイトと同じであり、君にはそれ以上の行動が求められている、という注意であった。
 頭ではわかっている面があるのだが、実際にどうすればいいのか、正直アルバイトでさえきちんと取り組んでこなかった自分には荷が重い。

 課題は二つできた。一つは段取りをできるようになるということ。二つ目は、いかに上司など仕事が出来る人から、仕事を真似る・盗むのか、ということだ。

 システムの内外を把握するのはそれ以前の基礎的なことであり、そこで躓いていることは許されないのだ。一日一日が本当に全力で仕事に取り組む日々である。


日記

 ランダムに最近の話題を書く。

 ソフィーの世界の英語版のアリストテレスのところを読んでいると、アリストテレスは何事にも中庸、バランスの取れていることが大事だと説いていると書いてあった。アリストテレスによれば人間は三段階に分かれ、それぞれのレベルでの欲求があるという。

 なるほど、マズローの説というのは、アリストテレスの現代版であったのか、と感動する。それだけではなく、ウィリアム・ジェイムズの「宗教的経験の諸相」にも、そのような見解が述べられていた。

 ただし、いきなりアリストテレスに飛び込むのはきつそうである。入門書を経て少しづついこうと思う。しかし、入門書を読んでいるだけでも、これはカントじゃないか、これはハイデガーか、この辺はベルクソンならどう思うのかな、エラン・ヴィタルは始動因の言い直しに過ぎないのじゃないかな、とかいろいろ追求したいことが沸いてきてたまらない。プラトンはすごいと思っていたが、弟子のアリストテレスもまたすごい。こういうすごい連中の遺産を引き受けて文化を築いてきたのか、と思うと西洋人の(機械力とか軍事力ということではなく)文化の高さがうかがい知れるというものだ。

 思うに中国の文明の高さも西洋人に一切引けをとらないが、中国人はいわばローマ人であって、基本的に政治的なのだ。そういう観点から見れば、中国の古典は学ぶべきすばらしいものだ。

 だが、西洋文明うらやましいところは、ギリシャ人がいたということである。それだけではない、ヘブライズムという強烈な文化も内包している。それらのすさまじい対立の中で、西洋文明は育ってきた。

 とはいえ、西洋だけがそのような複合的な文化を内包して発展しているわけではない。それはどの文化にもある程度言えることなのである。中国を見ても、道教儒教、仏教、といったものが思い浮かぶ。日本においても、仏教、道教神道儒教などがある。今では西洋文明も大量に流入している。

 江戸時代の知識人を見ると、仏教や儒教神道などそれぞれのバックボーンが違っていて、面白い。大学のドイツ語学科とフランス語学科とを比べると、明らかに生徒の雰囲気が違う。特に先生などは全然印象が違う。おのずと自分の資質にあった文化に吸い寄せられるのであろう。これと同じように、儒教と仏教のように、自分の資質にあった知識体系を選べるというのは、その文化の懐の深さを測る一つの目安になるかもしれない。

 こういうことをもうちょっときちんと論じたら面白いと思うのだが、ひょっとしたらウィリアム・ジェイムズなどがもうやっているのかもしれない。あるいは、ウェーバーの比較宗教学がこれに近いのだろうか。

 「世界一受けたい授業」という番組を先日始めてみた。森永卓郎氏の授業は、ちょっと基本的過ぎて楽しめなかった。唐沢俊一氏の雑学の授業は面白かったが、氏の本を読んだほうがいい気もした。陰山先生の百マス計算の授業も、やはり基本的というか、ちょっと楽しめなかった。ある程度陰山メソッドに興味を持っている人には絶対に物足りないと思う。

 全体的に、講師に与える時間が少ないし、レベルがかなり低く設定されているので「あの先生はどんな話し方をする人なのだろう」という興味がないと、今後は見ないだろうと思う。