内田樹氏と小松左京氏 2005-01-18 22:05:33

 内田氏のブログを最近良く拝読させていただいている。1月18日のブログから、引用させていただく。

 引用開始

 人類の祖先たちがはじめて葬礼を行ったときも、はじめて鉄器を使い出したときも、はじめて稲作を始めたときも、誰かが既成の「正しさの基準」に基づいて、「今日からわれわれは稲作というものを行うことにした、文句あるやつは死刑」というようなことをいったわけではない(たぶん)。
なんとなく、ずるずると始まったのである。
そのとき、「いや、われわれはキューリを主食にするべきだ」というような主張をした弥生人もいたかもしれない。
「南瓜がいいんでねーの」という人もいたかもしれない。
こういうことの適否を決定できる上位審級は当然ながら稲作文化の定着以前には存在しない。
しかし、そのうちに、誰が命令するでもなく「みんな稲作」になった。
投資する手間と回収できる利益のコストパフォーマンスを計測しているうちに、「ま、米だわな」ということになったのである。
私はこのような「長いスパン(100年単位)で考えたときの人間の適否判断能力」についてはかなりの信頼を置いている。
だから、当否の決定のむずかしい問題については「両論併記」や「継続審議」をつねづねお薦めしているのである。
「両論併記」というのは言い換えれば「誤答にも正解と同等の自己主張権を一定期間は保証する」ということである。
あまり知られていないことだが、「言論の自由」の条件の中には、適否の判断を「一定期間留保する」という時間的ファクターが入っている。
正解を急がないこと。
これが実は「言論の自由」の核となることなのである。
「正解を今この場で」と性急に結論を出したがる人は、「言論の自由」という概念を結局は理解できないだろうと私は思っている。

 引用終了

 この文章を読んで真っ先に思い浮かんだのが、小松左京氏の短編「オフー」である。これは読んだ人誰もが感動する傑作ではないだろうが、私は深く感動させられた名作である。ネタバレにならないよう最低限の紹介をすると、稲作を選んだ縄文人弥生人ではない)の立場を、現代に代入してみたというストーリーである。すなわち、縄文人にとって飢餓というものを避ける妙法として「コメ」がもたらされたときの衝撃と、現代にオフーという便利なものがもたらされたときの衝撃をダブらせたストーリーなのである。

 基本的には内田氏と小松左京氏のスタンスに大きな違いはない。内田氏も小松左京氏も大衆の選択能力をあまり高く評価してはいない。両人とも、大衆の判断は間違うことが多いという風に論じている。

 小松左京氏の作品には、よくプラトンの国家論のような科学者たちを中心にした合理的な統治機構が何回も登場する。それだけではなく、イデオロギーとしての社会主義ではなく、理性によって社会を設計するという点で小松左京氏は社会主義国にもある程度親近感を抱いていたような印象を受ける。ただし、小松左京氏はやはり単純ではない。同時に、そのような大衆もエリートも含めた人類の可能性そのものに、彼は深い懐疑を抱いているようである。そのような前提の作品もまた多い。

 小松左京氏のことは今は深入りするのはやめよう。私が言いたいのは、内田氏と小松左京氏の肉感的な感覚の差である。内田氏が仮想したような、「キュウリ」「かぼちゃ」などのいろんな主食候補を人々が試行錯誤してコストパフォーマンスがもっとも良い「コメ」に落着する(だから試行錯誤する時間と可能性が必要であり、誤っているであろう価値観も報道されるべきである)、というような想定自体を小松氏はまず描かない。小松氏が描くのは、本質的な変化こそ、知らないうちに忍び寄り、その是非を選択する余地などなく、圧倒的に到来するという事態である。

 小松氏の描く縄文人たちは、暴力的なまでに有利な「稲作」というものに大挙して飛びつく。飢餓の特効薬として。そのとき事実上、縄文人に選択の余地はない。稲作を採用したらどうなるとか、それと引き換えに失うものなど、飢餓による死というものを前にしたら、検討に値しない。気がつけば、それはもう既に「選択されてしまっている」のだ。

 内田氏の描く縄文人と、小松左京氏の描く縄文人、どちらも一つのたとえ話だから歴史的な観点からどちらが正しいかを論じるのは無意味だ。私が言いたいのは、そこには両人の感覚の差異が明瞭に現れているのではないか、ということなのだ。

 日常での様々な選択肢であれば、我々は選択して間違ったり成功したりして、結果としてだんだん正しい判断が生き残っていくかも知れず、その限りにおいては内田氏と小松氏は一致するであろう。だが、選択が本質的になればなるほど、小松氏はそれを我々が「選択」することが不可能になると感じている。

 陳腐な論法だが、ここには小松左京氏と内田樹氏の年齢が関わっているのではないか。小松左京氏は1931年生まれであり、学生時代に戦争と敗戦を体験している。内田氏は1950年生まれであり、そのような大転換を体験していない。(もちろん私もだが) 

 内田氏は小松氏のような大転換を想定して立論していないので、内田氏がそのような大転換についてどう考えているかはわからない。だが、こと戦争や稲作の採用などの場合、私個人は小松左京氏のリアリティに説得力を感じる。我々は気がつくと、常に、既に、その事態を選択しているあるいは投げ込まれているような存在なのだ。

 にもかかわらず、我々は、その事態を「選択」させられる。それ以外には有意味な選択肢がないからだ。稲さえ作れば、飢え死にしなくてすむのだ。「なぜ、お前はそうしないのだ」この問いかけに合理的、有意味な答えはない。それが地獄へ至る道であろうと、我々はそれを選択するのだ。

 小松左京氏はそれでも、「それ」(稲作のような、それ以外を選ぶことが全くの無意味、不合理になるような選択肢。それはほかに選ぶに値する選択肢もなく、そもそも選ぶ余地などなく、受け入れるしかないような選択肢なのだが)を選ばないという、非合理的な情熱を常に作品で描いてもきた。私も若いからだろうか、不合理ゆえに我信ずと言うようなところがある。内田氏の理屈がすっきりした論法にどうもなじめないときがある。それが正しいとわかっていても、正しいが故に受け入れたくないと感じるのだ。
 
 みなさんはどうお考え、あれは感じられただろうか。ともあれ、小松左京氏の「オフー」は是非読んでいただきたい。これだけは自信を持っていえる。