日記 2005-01-13 22:20:45

 例の中村教授の「和解」について少しブログを書きかけたのだが、時間がないのであさってくらいに完成を目指す。

 今日はいつもより長く働いたので、疲れた。知らない仕事が山ほどある。何回かやった仕事もしばらくするとあいまいになる。また、一回では到底システムの意味が理解できない。理解できても、それをとっさに応用できない。・・・つまずきの種はあらゆるところにあるのである。

 職場の、特に上司たちの期待に添えない自分が情けなく思うが、一年間はここで頑張らなくてはいけないだろう。仕事を頑張るの大事だが、心や体を壊さないようにすることも気をつけなくてはいけない。thinkはするがworryはしない、ということを心掛けよう。

 仕事のナリッヂを文章化してノートに書いていく作業は、意外に苦痛ではない。頭の整理になるし、仕事の練習という感じがしていい。ただ調子に乗って頑張りすぎると、私は息切れして続かないのでのんびり構えなくてはいけない。今日は延べで十二時間も仕事に一心に(その成果は別として主観的には)打ち込んだのだから、いい加減違うことで脳みそを使わないと人間としてだめになる。頑張って音楽を聴き、こうしてブログを書く。本当は綺麗な夜景を眺めたい気分なのだが、貧乏だから出来ない。

 monoikos氏の推薦の斉藤孝の「原稿用紙十枚書く力」を買おうかと思ったが、まずは野矢茂樹氏の「論理トレーニング101題」を納得いくまでやってみようかと思う。ただし、ここの問題を解くのではなく、この間序論をやったように、野矢氏の考えていること、言っていることを徹底的に考えてみるつもりだ。これも週末に「接続表現」をテーマにやってみるつもりだ。

 ソフィーの世界は毎日十分づつくらいの朝と夜の通勤電車の中で読むだけなので、進み方が遅い。やっとプラトンにまで来た。わざと目次を見ないようにしているのではわからないが、プラトンアリストテレスまではいいが、教父哲学とか中世の神学はあまり興味がないのでギリシャからデカルトまでどうつなぐつもりなのか気になる。

 哲学といえば、「カントの自我論」をたたき台に、哲学のブログの連載を始めたいのだ。最初にカントの自我論を読む取っ掛かりとして、「死」「身体」という主題とSF的に見える思考実験が決して無関係ではないという問題意識を提示し、そこを取っ掛かりに自我論を批判的に読んでいくつもりなのだ。途中途中で、私が感動したSFや諸星大二郎の漫画などを取り上げていくつもりである。私の哲学知識やその表現能力が、今の段階ではかなり拙劣なのは承知であるが、奇をてらうつもりは一切なく、そういう漫画やSFに、ダイレクトに哲学的な問題が露呈していると確信しているのだ。

 中島義道氏はそういった思考実験にはかなり批判的であるが、中島氏を仮想の対話の相手として、そういう思考実験の意義を認めてもらえるような、建設的な哲学の議論を構築できたらと思う。

 それとは別に、社会的な哲学の関心がわく。ウィリアム・ジェイムズの「宗教的経験の諸相」を読み始めているから。ベルグソンの傑作、「道徳と宗教の二源泉」を読み返したくなる。ベルグソンはあの本をもう少し圧縮して歯切れよくしたら、もっと評価されるようないい本だと思うのだが。いささか冗長で繰り返しが多すぎる嫌いがある。

 今日の音楽はまたしてもアラニス・モリセット(特にアイロニック。最高にいい曲だとは思わないが、今のところすごくインスパイアされる。音楽を聴いていてよかったという気分になる。それはつまり、今日数少ない、生きていて良かったという感じだ。)クランベリーズ。ちょっと気分を変えてミシェル・ブランチ大貫妙子も少々。)