格闘技談義?k−1、pride、u−1(ほとんどU−1の話です。) 2005-01-04 09:14:41

前回の格闘談義は具体的な大晦日の格闘技について述べていなかったので、簡単に触れておきたい。といって、試合の結果は別に僕が熱く語るまでもないし、好きな割には格闘技の技術には詳しくないため面白い指摘も出来そうにない。とりあえず曙はもう引退しろ、と言いたい。

家にはビデオしかないので、二つの番組を録画することが出来ない。いろいろ考えたが、プライドを録画して、途中からK−1を見ることにした。コマーシャルになると、10chの超常現象スペシャルを見る。勝手ながら、毎年やっている超常現象スペシャルをU1と名付けることにした。
実はもう一つの格闘技、たけしの超常現象スペシャルについて語りたい。

やはり、韮澤さんはすごいエンターテイナーだと思う。超常現象肯定派の人々は超常現象否定は叩かれるから仕方ないのかもしれないがとても依怙地で、人の話を効く耳持たないという感じがして、見ていてかなり不快感がある。だが、そういうときに韮澤さんがとんでもないことを言い出すので、少しは救われるのである。もう少し人の話を聞く余裕が超常現象肯定派にあると、超常現象にも肯定的になりやすくなるのだが。

それにしてももうネタも尽き果てているのに毎年良くやるよと思うし、それを見てしまっている自分も発展がない。

それでも発見がいくつかあった。手を横たわった人の腹部にかざし中から何かを引き出して棄てる動作をすると、その人のウエストが細くなる、実験をやっていた。超常現象懐疑派の大槻教授が実験台になったのだが、確かにウエストは数センチ細くなっていた。

だが良く考えると、ウエストなど一日に何回も測るものではない。ひょっとしたら横たわってしばらくして起き上がると細くなるものなのかもしれない。何もしなくても変動しているものなのかもしれない。腹部を他人にさらしてそこ二手をかざされると言うのはちょっとした異常体験だから、自然と腹に力が入って細くなるのかもしれない。検証のしようもない誰も思わなかったところに目をつけたあの気功師はなかなかいいセンスをしている。ああいう、誰も思いつかずはっきりと検証したことがないところに付け込むのはなかなかいい手だと思う。

また、外国の一流大学で物理学を研究したという色の白い青年がサングラスをかけて、地球が滅びる可能性について語っていたが、たちまち大槻教授に反撃され黙り込んでしまったのが哀れであった。仮に彼の学歴が本当だとしたら、人生を棒に振ってしまったわけで、かわいそうでならない。

大槻教授は具体的な彼の主張と言うよりは(それはいくらでも突っ込める)、その地球の危機が外国の一流の研究所でも研究されているという嘘を突っ込んだ。

超常現象肯定派の怪しい人たちは、すぐに「超能力はソニーでも研究している」「霊現象は科学的にも証明された」「いまアメリカの軍で秘密に研究されている」といった科学の権威を借りる発言と、「科学ではわからないこともある」「あなたたち学者は最初からこういうものを認めようとしない」という両方の発言を使い分ける。

要するに単に卑劣なのだが、そういう彼らを信じている人もそれなりにいると思うと、人間は複雑だと思う。その複雑さにはそれなりに興味を引かれる。

私は超常現象やとんでもない仮説が事実であっても全くおかしくないと思っているが、だからと言って事実とは残念ながら信じれないでいる。だから最近はトンでも説より、それを語る人を見て楽しむようになった。

未確認生物の研究者である熟年男性が出演していたが、あの人も韮澤さんに近いファンタジーを醸し出していて良かった。彼はフライングヒューマノイドを探しに行って見つからなかった女性レポーターに「あなたにはねえ、ツキがないんだ!」「僕は観察に行くと必ず何か発見するよ。」と言っていた。それが誇りなのだろう。また「私は自然観察者ですよ!」「学者はねえ、動物を殺さないと研究できないからだめだ。(彼の念頭にはかなり旧式の博物学があるらしい)」とかも言っていた。

要するに、この人はとてもロマンチストで、自然を観察に行くと、人には見えないまたは気づかないいろんな未確認生物を「目撃」してしまうのだという。いいなあ、夢のある世界に生きていらっしゃって、と思う。

ノストラダムスの特集のときも違う老人が出てきて、いい感じを出していた。それなりに紳士の格好をしたやさしそうな老人が、妄想の世界を熱く語る、というのは少しいい感じがする。

(超能力者の秋山氏などは、実際にセミナーなども開き実利を得ているのだろうから、いささか生臭く、しかも毎回あなたたちは本当にわかっていないと怒鳴る割には毎年出演しているので、ファンタジーよりは、ファンタジーに生きる人々から利益を得ているような気がして、どうも好きになれないのだ。)

ともかく、彼らのような優しい人が生きていくには、この世界の現実は少々粗雑で過酷なのだろうか。

そう思うと、自然に「カッコーの巣の上で」と言う映画に思いがいく・・・。