物思う秋編集する2008年11月16日23:13
何を書いても唇寒しって感じではあるが、せっかくのたまの休日だし、書けるだけ書いておこう。

http://anond.hatelabo.jp/20081116204707


妥協したくない
今、二十代中盤。

いまだに精神的にはガキのままだ。

中学くらいから、ずっと、正義とか、真理とか、真実とか、何の得にもならないことを考えて来た。

哲学にかぶれたり、倫理学に手を出したりもした。科学にそれを求めたこともあった。

疑いようのない、絶対的な一つの指針みたいな物を、ずっと探してた。

三十歳が見えてきた今も、それはまだ見つかっていない。


二十歳を過ぎた頃からだろうか。そんな絶対的な物なんて、なくたっていいじゃないか、と思うようになってきた。

みんな、そんな物なくたって立派に暮らしているだろう?

そんな物なくたって、幸せになれるだろう?

そう考える度に、それは妥協だと、自分に言い聞かせてきた。


どんなに自分が幸せを感じたって、豊かな人生を歩んだって、それを計る指針がなければ……。

死に際になって突然、「あなたはこれをするために生まれてきたのだ」と神から教えられたとして、それに背いた生き方をしてきた自分は、「満足のいく人生だった」と納得できるか?

もちろん神だなんてのは物の例えだ。

けれど、何でも良いから心の底から宗教を信じられれば幸せだったかも知れないとも思う。

疑いようのない、確かな物を持っているというのは、それだけでとても凄いことだと思う。


今、歳を重ねるにつれ、昔抱いていた疑いようのない確かな物への憧れは、徐々に薄れて来ている。

それが当たり前なんだと思う。

みんなそうやって生きている。それで何も困らない。

けれど、自分の中の一部がそれを否定する。


このまま、妥協して生きていきたくない。

けれど、それを見つける術は、まだ見つかっていない。求めれば求めるほど、それは存在しないのではないかと思えてくるほどだ。

実際の自分は、この日記の方のように絶対的なものとか、人生いかに生きるかなんてことは少しも追い求めたことは無いけど(もっと芸術家というか浮世離れしているタイプなんで現実の人生なんかどうでもいいと思っていた)、多少代入する固有名詞をいれかえれば、私のみならず多くの青少年にも妥当する感慨なんじゃないかな。

この日記を書いた人が見えてきた30というところをちょっと超えたところに私はいるわけだけど・・・これを機械的に未来にスライドさせると、こんな日記を書くようになるかもしれない。


http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20081116/1226793798
(引用開始)

■雨
 晩秋。昨晩は寝付かれず。坐禅、瞑想ともにダメ。静かな音楽を聴いているうちに眠くなった。夢は覚えていない。
 いろいろ物思いをしているのがいけないのだろうと思ったが、心が思うことは思うことなのでそれを追っていく。50歳になってみじめな自分というものがあり、そしてこれはあと生きていてもただその減衰でしかないのだろう。あと10歳、20歳若かったらなと夢想した。もちろん、その反面の心で、もうあの時代は十分というのはある。そして、今の自分のありかたは十分神の恵みではないかとも思う。ただ、もし気力があれば何をするだろう。何を学ぶだろう。それは少し思った。やはり答えは出なかった。今でも無力だが20歳のころの無力の自分を思った。未来があった。今のその未来に到達した。

(引用終了)

何事かと思うほど哀しい日記だ・・・
自分も悲しい日記を良く書いているんで人のことは言えないけどね・・・

原点に戻って、最強伝説黒沢を読み返そう・・・こんな夜は