12/20 「カントの自我論」・神田の喫茶店・コロリョフ

昨日も休日であった。

どうも、職場が変わってからの疲れというか、ストレスのようなものがかなりたまっていたようであった。肉体的にはそれほど苦しくなくても、やる気のようなものが起きない。職場が変わっても勉強を続けなければ、と頑張ったし、仕事自体も頑張った。これは私の人生においては非常に珍しいことであって、その反動が今来ている。一月を振り返ると、そもそも頑張らなければもっと良かったのかもしれないという思いもある。しかしそういうことはやってみる前にはわからないことである。もし今度そういう機会があれば、そのときに生かす教訓にしようと思う。

またどうにもやる気が出ないときは、人の悪口をいったり、愚痴を言うことしかできなくなるということもわかった。趣味の指回しや、タイピングゲームなどすらやる気が出ない。
今日も勉強はよそうかという気分である。

一つ新しいことを決めた。それは、今までは毎日英語のリーダーズを読んでいたが、読む本を日本語と英語と交互に読むことにした。やはり、哲学的なことに触れないと、体調が良くないのだ。

早速昨日は先日購入した「カントの自我論」を持って、神田に行く。神田には喫茶店がたくさんあるが、意外に読書に向いている喫茶店は少ないと思う。昼間ならともかく、日が落ちるのが早い冬などは、暗くて本など読むどころではない喫茶店が多い。店が御洒落であっても、そこはどちらかというと会話を楽しむための場所のようであって、私にはあまり縁がない。

三省堂のすぐ近くの方の珈琲館に久しぶりにって見ると、店内が改装され明るくなっていた。しかし、以前はかかっていなかった店内音楽がうるさく、残念である。BGMがどうしても苦手だという繊細なたちではないが、やはり気になるときもある。どうせ音楽を流すなら、もう少しいいスピーカーでやって欲しいと思った。

珈琲とチーズケーキを頼んで、一時間ほど「カントと自我論」を読む。著者の中島氏の言うとおり、決してよみやすくはないが、よく考えれば読み進めることが出来る。しかし目を通すのと、自分の肉感で理解するのとは違うことである。何回も読み返して「腹中の本」(確か、四書五経を暗記することの意味だったと思う。要するに体に叩き込むということだ)としなければいけない。チーズケーキは昔どおりおいしかった。九段よりにもっと大きい珈琲館があるが、あそこはいつも混んでいてうるさいので入りたくない。

昼間の古瀬戸(喫茶店)なら読書もいいと思うが、夜はどうだろうか。今度寄って確かめてみよう。

やはり、これは自分にとって必要なものだと思う。「私は心底、それを必要としているんだ。」というコロリョフ老人の言葉を思い出す。あるSFに出てくるロシア人である。彼は長年宇宙ステーションで暮らしていたので、もはや地球上の重力では生きていけないかつての英雄だ。しかし、国家の方針で宇宙ステーションは廃棄されることになった。彼を残してクルーが地球に戻るときに、コロリョフが世界に伝えたいことはないかと聞かれていった言葉である。

放置されたステーションは次第に軌道が落ちて最後には地球に落ちてしまうはずであった。実際はどうなったかは話を読んでいただきたい。「クローム襲撃」ウィリアム・ギブスン収録 「赤い星、冬の軌道」という短編である。あまり面白くはない。

今ネットで検索して、コロリョフという名前が実際にソ連のロケット開発者の名前だとはじめて知った。そういう元ねたを知らなければ、面白くないのは当然か。自分の浅はかさを思い知った。