12/15 「つらいです、さんたまりあ」「無門関」「アレキサンドリアの図書館」

昨日、仕事ばかりでなく勉強も頑張ったら、今日の昼ぐらい、恐ろしいほど体調が辛くなった。別にふざけて言うのではないのだが、「くるしいです、さんたまりあ」と言いたくなる。頭痛薬を大目に飲み、水をたくさん飲んでどうにかよくなったが、明日は十時間働かなくてはいけない。店を開店させて閉店させなくてはいけない。だから調子が良くなったとはいえ、余計なことは出来ないし、自覚できないだけで確実に頭の調子は良くない。日本語などでは比較的わからないが、まず英語が読めなくなる。もっと敏感に反映するのは数学である。

苦手なものほど、調子のよしあしの影響を受けるみたいだ。

あまりストレスがたまったので、思わず岩波文庫の無門関と言う禅の公案本を買うところだった。我慢して、英語のリーダーズを買う。禅の公案はぶっ飛んでいて面白そうなのだが。金さえあれば。本当は読むだけでなく、公案を生きたい。あのように理解を(自分自身に対してさえ)拒むような行動で生きてみたい。

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やはり、少なくとも今は仕事に向いていない。(この仕事と言うことでなく、社会で働くと言うことそのもの)私は図書館に住みたい。アレキサンドリアの図書館に住みたい。全世界の本があるという図書館に住みたい。誰か大金持ちがそういう図書館を作ってくれないか。

そんな図書館があれば、それを中心に職員やそれを読むために住むばかどもで、町が出来るだろう。そんな町に住みたい。その町の人はみな読書が死ぬほど好きで、本が好きなのである。カフェに行けば、読書談義。ちょっとした読書会のようなものはあちこちでやっている。町では弾き語りではなくて小説の朗読。

あ、知らない方のために2、3補足。「辛いです、サンタマリア」は、宮沢賢治の「オツベルと象」と言う童話の象がお月様に向かって言うせりふ。お人よし(お象よし?)な象は、資本家のオツベルにだまされて鎖につながれこき使われる。夜くたくたになった象がつぶやくのである。

しかしよく読んでみると、最後に象を助けに来た象の群れに踏み潰されるオツベルは、決してただの悪役として描かれているようではない。オツベルはオツベルでどこかヒロイックですらある。そもそも「オツベルときたら、たいしたもんだ。」という文章で話が始まっている。宮沢賢治は、勧善懲悪なただの童話を書く男ではない。

禅の公案というのは、普通の論理的な理解を拒むような問いかけと答えを巡る問答あるいは行動による対話である。落語に禅問答をパロディ化したものがあるので、それをごらんになるといい。2004-12-15 22:08:54