12/13 クランベリーズ・KAN

今日は、昨日借りてきて途中まで読み進めていた「言語の脳科学」を読了。
大学での教養課程の一科目程度の内容だろう。
教科書的な構成になっているが、他の学者からはいろいろ異見がありそうな感じがする。しかし、脳科学は本当に入り口でしかなくて、まだまだわからないことばかりだ、ということがわかった。僕の生きているうちに、もう少しはっきりしたことがわかるといいな、と思った。

今日は疲れてしまって、ストレスがたまったので、クランベリーズKANを借りてきた。我ながらなんと言う取り合わせか、と汗顔の至りである。しかしクランベリーズというのをぜんぜん知らなかったのだが、ネスカフェのコマーシャルに、一瞬だけその名前が出ていたので、その曲が聞きたくて借りてしまった。

ぜんぜん洋楽には詳しくないのだが、クランベリーズ、かなりよい。一応ロックなのだが、歌い方に裏声が混じる。元ちとせみたいだが、やっぱり違う。アルバムの解説を読むと、この人たちはアイルランド出身だから、そういう民族の音楽性みたいなのが反映しているのかもしれない。カルメン・マキがロックを歌いながら日本の土着性を見事に体現しているのと同じだ。

ドリームズという曲が聞きたかったのだが、何曲か名前も知らないが聞いたことがあるという曲があった。ゾンビという曲。いつ聞いたのかもぜんぜんわからないが、確かに聞いたことがある。これもなかなかいい。アレンジというか、ちょっと時代を感じさせるけど、なかなかいい。

ぜんぜん洋楽を聴いたことがないのに、聞いたことがあるのは、きっと僕が長い間NHKFMファンだったからだろう。かれこれ中学生から断続的に去年くらいまでずっと聞いていた。それも一つの番組だけじゃなくて、そのときの生活リズムに合わせていろいろ聞いた。あまりこういう暇な人は射ないと思うが、NHKFMを一日通して聞くとわかるが、実にいろんな種類の音楽を、それもかなりマニアックに紹介している。

英語の歌詞ってぜんぜん意味がまだ聞き取れないけど、勝手に受けた印象では、クランベリーズは恥ずかしいくらいにまじめな人たち、という気がする。それって、なかなかいい。

私に欠けているものは、なによりもそれだからだ。

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昔人に哲学の事を聞かれて、「自分の中に降りる感覚です。」と答えたことがある。しかし今考えると、あいまいな答えだ。自分の中に降りるのか、自分を降りるのか。

自分の中に降りる、というのは周りをシャットアウトして自分を見つめるということだろう。しかし僕には、哲学とは「自分であることを解除していく」つまり、「自分を降りる」というほうがしっくり来る。

中島義道氏は、「人生を半分降りる」ということ言っているが、それは人生を降りて、自分自身に立ち返ることを意味しているだろう。だから、この場合は、自分を降りるわけではない。

全然結論のようなものはないが、自分の中に降りるのか、自分を降りていくのか、ということが、今日気になった。