十月十四日

at 2004 10/14 22:55 編集

最近の鍛錬法の変化をいくつか。

休養法を織り交ぜることにした。今は家での勉強は、朝起きてすぐのパソコンの英単語、タイピング、暗算を別にすれば、ドイツ語、フランス語、高校数学の三つである。それらとセットにして、骨体操、ストレッチ、筋トレを行う。その合間に家事を行う。

今度はそれに、青竹ふみを五分間づつ、加えた。もう一つ、瞑想的な休養法を自己流で行い始めている。

それは、瞑想と言っても何かをイメージしたり、呼吸を整えたりというのではない。安定した姿勢をとり、瞑目してただボーっとするだけである。そこで何かをイメージしたり、過度の自己コントロールを目指すと、ぜんぜん休養にならない。本当にただだらだらするだけである。

姿勢は三つ考えてみた。一つは立って行う。ただ普通に立つ。胸を張ったりせず、かといってあまり猫背でもなくする。脚は肩幅より少し広めに。体重は出来るだけ足裏に均等になるように。
そして必要最低限だけ力を入れて、そのまま瞑目する。余計なことは考えないよう、体の微調整を主に行う。長時間たっていても、体の一部に違和感がないような姿勢を目指す。

次は、座った姿勢である。これもまず正座するが、つま先をつけたまま、膝を45度から60度くらいまで広げる。そうすると、おのずと背筋が伸びるが、このとき気持ちがいいからと言ってぴんと背筋を伸ばさないようにする。おのずから背筋が伸びるのはいいが、ぴんと張ろうとすることは、結局疲労を招き長時間姿勢を維持できない。
同じく瞑目し、何も考えず、姿勢の微調整だけに専念する。

最後は、ただ寝るだけである。たたみ仰向けになり、大の字より少し手足の感覚を狭めた感じで寝転ぶ。ただ仰臥するだけでも、少し長い時間をやっていると、無意識に力を入れている部分があったりするのがわかる。そういう部分の力を抜き、ひたすらだらだらする。

これらのすべてにおいて、呼吸法は出来るだけ意識しない。意識した呼吸は疲労を招くからである。繰り返しになるが、何かをイメージしたり、雑念を抑えようと努力しない。雑念が浮かんできたら十分休んだということだから目を開ける。体の微調整をやっているとその間は雑念は浮かばないし、ある程度ピシッとこれだという姿勢が決まると、不思議に何も雑念が浮かばないものである。

まだ初めて一週間もたっていないので、やり方をはじめどんどん変わるかもしれない。効果もあまり感じないが、勉強で野津からを解消するくらいの効果はあるようだ。