十月十二日

at 2004 10/12 18:15 編集

今日は休みなので、早速図書館に行って、サルトルの本を借りようと思っていたが、今日は休館日であった。

仕方なく家にこもって、「ゲーデルエッシャー・バッハ」を読み続けることにする。

ゲーデルの定理のあらましまで来たところで、第一部が終わり、第二部では人工知能や人間の心が主題になってくる。ゲーデルの定理まで、流れがある程度予想できたので、比較的読みやすかったが、だんだんどこに行きたいのかがよくわからなくなってきて、読むのが疲れてきた。

ただ読んでいて、もはやこの本も、クラシック、あるいはセミ・クラシックといえるのだなあと感じた部分がいくつかあった。

たとえば、途中出てくるフェルマーの定理は、(フェルマーは証明しておらず、正確にはフェルマーの予想)が、この本が出てから十年位して、アンドリュー・ワイルズがやっと証明した。また、チャイティンのランダム性の証明の話はまさにこの本の主題にぴったりなものに関わらず、登場してこないし、目次にも書いてない。これもよく事情がわからないが、この本が書かれた後にチャイティンの証明がなされたのか有名になったのだろう。

とにかく疲れてしまったので、読みかけのペンギンリーダーズを読み始めた。

かなり無理して、読了。簡約版ではあるが、静かな感動を覚える。映画にもなっているようなので、時間を置いてそちらも見てみようかと思う。

ネビル・シュートの「渚にて」も、簡約版でありながら、非常に感銘を受けた。

もちろん原作のほうが深い感動が得られるのであろうが、あまりに人類の滅亡という、暗い、読みすすめるのがつらい話なので、簡約版のほうがむしろ良かったかもとさえ思う。SF風のアクションや世紀末風のビジョンもなく、淡々とオーストラリアの人々の日常風景を描いた作品である。北半球で起こった核戦争の放射性物質を含んだ空気が何ヶ月もかけてゆっくり南下してくるために、人類が滅亡していく。

原作はかなり長く、日本語でも厚い文庫本として本屋に並んでいる。関心のある方は是非どうぞ。英語の読める方は是非原書で。いつか私も早く読めるようになりたいと思う。

今日はかなり疲弊してしまった。
自分の実力相当の文章であっても、英語を三十分以上読み続けるとかなり疲れてしまう。時間は計っていないが、一時間以上は読み続けた気がする。

しかし存分に「脳いじめ」が出来たので、それはそれでいいと思う。頭痛くなったり、疲労した気分になるのは、主に肩こりや眼精疲労であるし、仮に脳みそが疲れたとしても、今後の英語力につながるのであるからいい。

レベル4では、ほとんど知らない単語には出会わなくなってきた。辞書なしで読むことが出来る。文法的には、ちょっと精読というところまでは行かない。もう少し、レベル4を読む必要があるということか。

物によっては、レベル5で読めるものがあるようなので、交互に読んでいくのがいいだろう。

そうそう、今日ネット漠然と検索していたら、脳の中で日本語を担当する部分と、英語を担当する部分が別である、という記事を見つけた。説明によれば、仮に五ヶ国語が使える人がいれば、五箇所の場所があるはずだという。

なるほど、という気がする。となると、予想以上に外国語は脳みそをいじめる、ということになるだろう。

僕は今日はいまだに狭くて弱弱しい英語脳を酷使した、ということになるか。

数学はどうなるのだろう、算数レベルでは?

おそらく、学校の教科書の問題を解くぐらいであれば、言語的な部分しか使わないと思う。創造的な大学以上でやるような数学は別として、高校数学の数学は、あたかももう一つの外国語を習得するようなものに、今私には感じられる。

数学にはどういう脳みそを使っているのか、面白い研究がないものか。