バ 馬鹿評論

at 2004 01/26 11:00 編集

ニュースで遺跡捏造の藤村氏の
インタビューを読んだ。

問題は、誰が遺跡捏造のプレッシャーを
かけていたのか。

全て彼の妄想で、プレッシャーなどは
なかったのかもしれない。

しかし、そういう期待があったとしたらどうか。

遺跡捏造が明らかになったとき、海外の
特にアジアのメディアは『日本の自己を
誇大に見せたい願望の現れだ』と
評した。

こうした願望は日本だけでなくて、
外国にもあり、例えば北朝鮮
には、何万年前の祖先の遺跡なるものが
大々的に祭られている。もちろん、
常識で考えれば嘘でしかありえない。
要するに『神武天皇陵』と同じである。

藤村氏の捏造露見のいきさつも、
不透明なものだった。

ある新聞社が隠れて撮影したために、
暴露されたのだが、それ以前から
ちょっと気をつけて取材すれば
いくらでもこのようなスクープを
出せたのではないだろうか。

捏造が暴露される直前の
朝日新聞に、藤村氏の
発見を疑問視する向きもあるが、
きちんと論証した上で行うべきであろう、
という趣旨の記事が載った。

全然考古学に詳しくない
私は、その記事が「藤村氏の捏造を
認めているのか、疑わしいが証拠がない
といっているのか、藤村氏は正しいと
言っているのか」よくわからずに戸惑った
覚えがある。

捏造発覚直後に多くの関係者が
日本の学界の非科学性を指摘した。

発掘した石器などを外部に見せずに、
論文だけを発表したりとか。

そういった非合理性は、どういった組織にも
はびこりがちだが、普通は鵜の目鷹の目の
ライバルが指摘していくものである。

まして相手はアマチュアの言ってみれば
考古学マニアでしかない。

権威などというものもないのではないだろうか。

旧石器時代の研究が進んでいないといっても、
縄文式の石器を埋めるという
異様なほどお粗末な捏造が、どうして
発覚しないのか。

東アジアのメディアが指摘するように、
何か日本の古代を特別なものに
したい人たちがいたのかもしれない。

それに気付いたか気付いていないかは
わからないが、藤村氏と藤村氏を支えた
人々はのせられていたのではないだろうか。


話が前後するが、日本の考古学が
外国からほとんど相手にされていない、
ということはないのだろうか。

普通に考えて、あれほど昔の遺跡が
日本で見つかっているのだから、外国の
メディアや学者が驚いて注目する
ということがあるのではないか。

そして、どうも怪しいということにならない
のか。

オウムの上祐氏が、日本のマスコミを
いいようにあしらっていたのを覚えている。

例外はあったのだろうが、マスコミは
面白半分で、オウムの取材をして、
オウムを馬鹿にしながら、その実「なんか
下らない連中が、妙なことをやっている」
風のイメージを流布するオウムの戦略に
見事にのせられていた。

その上祐氏が外国のメディアの取材を
受けたとき、すごくいらだって答えられない
場面があったように記憶する。

上祐氏の英語力に問題があったのではなく、
外国のメディアが、写真やその他の
証拠を突きつけ、問いただすという
極めてあたりまえの質問をしたからではないか。

日本のメディアは、馬鹿の一つ覚えのように、
同じような質問を繰り返し、
オウム側も決められた答を繰り返すという
ものがほとんどだった。

マスコミは答よりも、オウムの奇矯さを
アピールして視聴率を稼ぎたいのだから、
当然だろう。

何が言いたいのかというと、
同じように、外国のメディアの
素朴な疑問が、藤村氏に向けられる
ということはなぜなかったのだろうか。

いろんな可能性があると思う。

一つはそもそも日本の考古学などに、
外国が興味を抱いていないこと。

古い時代の日本は、中国大陸の一地方に
過ぎないわけで、とりたてて
今の国家を考えて日本の古代に
注目する必要はない。

あるいは、外国のメディアには
藤村氏のお粗末さが一目瞭然で、
まともなアカデミズムでは相手にする
べきでないとされていたのかもしれない。

もっといやなのは、日本のアカデミズム自体が
レベルが低いと考えられていて、
あまり相手にしても仕方がないと
されていたのか。

ありうるのは、そういう外国のアカデミズムや
ジャーナリズムを日本側が無視していたり
シャットアウトしていたのではないか。

このあたりのことは、考古学の先生に
聞かなくてはわからないだろう。

私の言っていることは全部的外れの
可能性もある。
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別に、日本が劣っているとか言いたいわけ
ではない。

日本にいると、日本のおかしいところが
見えにくいのだなあ。と改めて感じたのだ。

アメリカが今だいぶおかしい。

人権を無視したアラブ人差別や、
銀行口座を勝手に調べたりとか、
まるで非常事態のようなありさまだ。

だが考えてみれば、アメリカの人口が
どれだけいるかわからないが、
テロで死んだ人以上の人が銃犯罪で死に、
交通事故で、太りすぎによる成人病で
死んでいると思う。

あれ以降、目立ったテロは起きていない。

だが、アメリカの中で、『やばいぞ、怖いぞ』という感情のアラームが作動しっぱなしなのだ。

日本は平和ボケしているから、余計に
アメリカの緊迫度が滑稽に見える。

あれだけ麻薬が蔓延し、犯罪が
多い国で、いまさらテロだけを防げるわけ
がない。

そうでなくても、あれだけ広大な国土を
完全に防衛できるわけもない。

『じゃあもし起きたらどうする。』

起きたら悲しいことだが、ベストを尽くして、
事態の回収に挑むしかない。

アメリカのやっていることは、
コストとリターンが一致していない。

交通事故だってそうだ。あらゆる方法を
尽くして交通事故を回避する人生
はあるだろう。

だが、そのせいで、その人生は
大きく歪んでしまう。

普通に考えれば、交通法規をまもり
よく注意して生きていけば、
大体大丈夫なのだ。

「そんなことを言って、もし起きたら
どうするんだ」

こういう考えが頭をもたげるのは、
人生を我々がコントロールするべきであり、
またそれが可能である、という思い上がりだ。

何か根本的に思い上がり、甘えた考えなのだ。

いくらどうしたって不幸なことが起きる。

もちろん対策はしなければならない。
だがそれも『費用対効果』の観点から
するべきだ。

それでも何か起こったらどうするか。

どうしようもない。なるようになる。
『覚悟』だけしておく以外にない。

北朝鮮が攻めてきたら。ミサイルを
打ち込まれたら。

恐ろしい。だが、その飛んでくるかわからない
ミサイルを防衛するシステムにどれだけ
費用ががかると思っているのだ。

外交努力という言葉を知っているのか。

それでも撃たれたら、どうするのか。

北朝鮮との対話は無駄だったが、
だからといってやめるべきか。

経済制裁すれば本当に
拉致問題が解決するのか。

かえって悪感情を抱かせるだけじゃないのか。

もっとも、北朝鮮と利益でべったり
くっついている連中がたくさんいるだろうし、
別に経済制裁が意味がないといっている
わけじゃない。

一つの選択肢だ。

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以上馬鹿評論でした。