ポジティブな炎上を目指して

何故「炎上」はネガティブな意味だけに使われているのか。ポジティブな炎上があっても良いはずだ。

しかし、実際に炎上=ネガティブなのはなぜか。

いくつか理由を考えてみた。

★ポジティブな炎上も存在しているが、ネガティブな炎上ほど短時間にコメントが集中しない(緩やかに続くポジティブな炎上であれば、いわゆるアルファブロガーと呼ばれる方々のブログがそれに相当するだろう)

★ネガティブな炎上は、感情の赴くままにコメントすればよいが、ポジティブな炎上は知的努力が必要なので参加しうる人間が相対的に少ない。

★そういう現象は存在するが、専門的過ぎて一般的に理解されず、ネットニュースでも紹介されない。

★そういう現象は存在するが、それを表現する言葉がないので現象が意識化されていない。例えば、嫌がらせ行為は昔から存在していたが「ストーカー」という言葉によって、嫌がらせ行為の連関を対象化できるようになった。ポジティブな炎上に対しては、それに相当するような表現が見出されていない。

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炎上といっても、それに類する現象は昔から存在していた。(テレビ局へのクレームや、集団で誰かをつるし上げる行為など)ネットという、不特定多数の人間が低コストで関与しあえることにより、現象が先鋭化したに過ぎない。

そのように考えると、ポジティブな炎上という現象も(それが存在可能だとして)、会議やブレーンストーミングのネット版に過ぎないともいえる。

類似はグループ間の現象にとどまらない。あるいは個人の脳の中で集中した努力の果てに起こる、独特の創造体験(フロー体験)も似たものかもしれない。

フロー体験とはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC

紹介したwikipediaから、フロー体験が可能になる条件を引用してみた。

明確な目的(予想と法則が認識できる)

専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)

自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。

時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更

直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)

能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)

状況や活動を自分で制御している感覚。

活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。

これらは、わたくしが「ポジティブな炎上」という生硬な表現で言いたい現象に、ほぼそのまま適用できるのではないか。

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日々の着実な知の蓄積とは別に、短期集中の爆発的な知の交流が考えられる。(もちろん、それは日々の知の交流の蓄積の上に可能になるだろうが)

それはおそらく参加している人間にとって、一つのオリエンテーションと言えるほどの意味深い現象になるのではないか。(特に参加者が若い人の場合は)

専門家以外が理解できない理科系のジャンルではこういう現象は起きているのかもしれないが、もう少し裾野が広い文科系のトピックスでも、頻繁に「ポジティブな炎上」が発生するようになればよいと思う。

もちろんこのブログでも「ポジティブな炎上」をいつか実現させてみたい。