屁理屈と不動心
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当たり前のことに今更気がついて書いてみます。
実践が出来ているわけではないのだが、日常生活における自分の感情の多くが不適切なのではないか、と感じるようになって来た。
これは卑下しているとかではなくて、自分以外のほとんどの人にとっても当てはまることではないかとも思う。
具体的にどういうことが言いたいのか。
人生とは問題解決の連続であると考えると、そこに発生する感情は本質的に必要なものではないと言いたいのだ。
人は何かをするときに、緊張したり怒ったり悲しんだり、喜んだり期待してわくわくしたりという様々な感情に突き動かされて行動するが、その時の感情が必ずしも問題解決に役立っていないのではないか?
カッとして失敗してしまう事は、一般によくあることだし、勝ってカブトの緒を締めよというように、落ち着けば気がつく危険信号を調子こき過ぎて見逃したり・・・誰でも覚えが有ると思う。
この「落ち着いて考えれば」というところが大事で、自分を落ち着かせてくれない感情の動きは、少なくとも問題を解決する為には邪魔なんだと思う。
ここで問題解決という表現には誤解を招きやすいところがあるかもしれないので補足しておく。
問題解決というと、ペーパーテストとか、頭で考える問題をイメージしがちだが、バッターボックスで「球を見送るか、どんな感じで当てていくか」なんてのもまさに問題解決だ。
問題解決イコール行動なので、頭で考える理性的な部分だけでは何も解決しないということ。
ただ、ゴルゴ13のように常にクールであり続ければよいわけじゃない。我々は生き物であり、とくに社会を作ってその中で生きる生き物なので、感情を表現したりやり取りしたりする事は、問題解決に必要なのだ。
チーム一丸になって、困難に取り組む時とか、人を説得する時とか、女を口説くときとか、感情をきちんと表現できないとダメだろう。
いるよね、正論ばっかりいうけどなんかあの人の正論には従いたくないなって人・・・え、俺のことだって?(苦笑)
そういう人は、感情的なチューニングが間違っているので人々の理屈のチャンネルでは意見を伝達できても、感情のチャンネルで拒否されているのだ。
それこそ言葉はとつとつとしていても、心を打ったり人を動かす人もいる。それは感情が問題解決にいかに重要かを示している。
でもヒトラーみたいに、人の感情面だけに強く影響力して、とんでもない方向に人々を導いてしまう場合もある。どんな時だって、感情面、理性面の両方のバランスが必要で、できれば自分の中で両方を自覚的に切り離せるのが望ましいということではないか。
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要は、問題解決という視点を根本に置けば、おのずと自分が今持つべき感情の種類とその度合いが決まってくると言いたいのだ。
だけども、圧倒的多くの人は逆で、感情の自然な動きに対応して問題解決しようとしている。
だから主体性に欠ける。
まあ、普段は主体性に欠けても別にかまわない。
一般の日常生活をしている分には(常識とかがカバーできる範囲で、常識というぼんやりしたものに従っていれば大体うまく行くから)問題ない。
けれども、普段と違う事をやろうとしたり直面したりして、それぞれの答えを出さないといけなくなると、自然にわきあがる(訓練されていない)感情にしたがっていても、常識は答えを与えてくれない。
その時に、主体的に考えて行動できないと、いい結果にはなかなかたどり着けない。
私は短気、臆病などでいつも失敗する事が多い。いわば心が包茎で、刺激に対して過敏すぎるという事なのだろう。渦中に飲み込まれて自分や人の感情面に左右されてしまうのだ。
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言ってみれば、不動心がいかに大事か、という事なんだがこの不動心は単に宗教的な修行とかじゃなくて、問題解決という理性と結びついてこそ意味があるんじゃないだろうか。
何事にも揺るがない「だけ」なら、ただ鈍感なだけだろうから。揺るがない心をもって、何を成し遂げるか、それこそが真のその人の価値につながるだろう。
テレビを見ながらねっころがっているときだって、心は何事にも揺らいでいないから。
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まとめ
※だから、何事も「問題解決」だと肝に銘じて、その邪魔になる感情を出来るだけコントロールする。すると、ほとんどの感情が自然の状態のままでは問題解決には不適切なレベルにチューニングされている事に気がつく。
※問題解決は、何らかの行動を伴わないと不可能。問題解決イコール行動。
※どのような感情のチューニングが、問題解決=行動にふさわしいかは、まさに問題解決してみないとわからない(カッカとしすぎた、警戒しすぎて臆病すぎたなど)。
※何もしなければ、何もしようとしなければ、問題に直面しない(あるいは見てみぬふりができる)から、低いレベルでの不動心は容易に達成できる。部屋でテレビを見て寝転がっていれば、心は穏やかだが、そのような時間は何も生み出さない。不動なだけでよろしいなら、漬物石が一番偉い。
※目指すべきは、ただの不動心ではなく、何事かをなしうるのに役立つ高いレベルでの不動心。(心理学者チクセントミハイは、これを心のエントロピーに対処する能力と表現している。エントロピーとはここでは秩序を乱す混乱の比ゆ)
で、屁理屈については、長くなったので次にまわします。