12・17 憂鬱・神田・池袋・カントの自我論

 最近の休日は夕方くらいまで、ひたすら憂鬱な気分になることが多い。今日もお休みではあるが、もしかして以前から風邪を引いていた同僚が今日も休んだら、私が出勤せねばならない。午前中は呼び出しの電話がかかってくるのではないかと全然休んでいる気がしない。

 その後もどんどん気分が落ち込んでいく。仕方なく部屋にあった大島弓子先生の漫画を2冊ほど読む。素晴らしい作品に触れて、昨日の日記のように人の悪口を書いている自分が情けなくなる。

 そして風呂に入ったら、図書館から借りてきた「新書アフリカ史」を読み始める。アフリカの歴史など、今までまったく知識がなかった。歴史だけではなく、そもそもアフリカについての知識がない自分に気がついた。これではいけないと思い、徐々に読み進めていこうと思った。一気に読み通せるほど、私の興味を引く本ではない。

 昼過ぎから外出することにした。

 買おうと思っていた萩尾望都先生の「バルバラ異界」第3巻もまだ発売していない。岩波文庫で「宗教的経験の諸相」が復刊されているのを買いたかったが、自分の店で買って少しでも売上に貢献しようと殊勝なことを考え、我慢する。そうすると全然買いたい本がなくて神保町をぐるっと回っても一冊も買わない羽目になった。

 そうだ、池袋にSF専門の古書店があった、そこに行こう。と思いつく。

 しかし池袋をさまよってもそのお店は、全然見つからない。やっと所番地が一致する場所を突き止めたが、なんと店がない。

 私の知らない間に閉店したようだ。本当に悲しい。グレッグ・イーガンの「順列都市」を購入したかったのに。イーガンの熱烈な読者の癖に、つい買いそびれていたのだが、いつの間にか出版社で品切れになってしまい入手ができなくなっていたのだ。

 結局池袋リブロで、「カントの自我論」を購入。これだって自分の店で買ったらいいようなものだが、もはや理性がなくなっていた。

 自分がひどく塞ぎこんでいるのは、哲学から離れているからだろう。と、カントの自我論を眺めて感じた。