十月三日

at 2004 10/03 09:22 編集

セクシーな数学と言う本を借りて、少しづつ読んでいる。これはインタービュウを集めたものなので、専門的な表現は少なく、素人の人でも出来るだけ直観的に彼の仕事がわかるようになっている。

彼の仕事によって、数学と言うもの自体のイメージがだいぶ私の中で変わってきたが、もう少し正確に理解したいと思う。

私は昔から数学や自然科学の啓蒙書を読むのが好きである。しかし、学校ではほとんど数学をまじめにやらなかったし、苦手に感じてきた。

数学のきちんとした知識がなくとも、ある程度は、なんとなくイメージを描いて、数学者の伝記などを楽しむことが出来る。

しかし、やはりもっと楽しみたいと思ったら、高校数学から大学での初級レベルまでは数学が出来たほうがいいと思うようになった。

それにちょっと自分でも驚いたのだが、高校数学の参考書を買って解き始めたら、自分が予想以上に数学が苦手だと気づくと同時に、それほど嫌いではないようなのだ。

一日に数問だけ解く、というスローペースで勉強しているせいだろう。もともとあれこれ考えるのは好きなのである。ただし、好きだから得意だとは限らず、限られた時間でどんどん新しい単元を終了しなくてはいけない高校の勉強で、私は数学に落ちこぼれたのだろう。

今社会人になって、自分の趣味(科学や数学の入門書を読む)のために本当に少しづつ勉強し始めてみると、割合楽しい。

楽しいから数学が得意になるかと言うと、そんなことはなくて下手の横好きを実践しているのであるが。

考えてみれば、語学の勉強も、人に比べればかなりスローペースだし、体系だっていない。

英語はとにかく読むという方法でやっている。辞書を出来るだけ使わないで読めるくらいのレベルで読んでいるので、いまだに児童書の簡単なものしか読めない。

ドイツ語フランス語にいたっては、ちょっとづつ文法をやって、あとは、簡単な文章をひたすら暗記していくという方法である。効果があるのかよくわからないが、脳みそをいじめていく快感があるので、暗記は楽しい。楽しいから得意かというと、そうでないのも数学と同じだ。

健康になってきたせいと、勉強して脳をいじめているせいか、少し頭がすっきりしてきた。すっきりしてくると、自分に何が足りないから、何が理解できないか、と言うことが自覚できてきて、少し辛い。

今日もチャインティンのランダムネスの話(純粋数学においても、それを圧縮して述べることが出来ない計算のほうが圧倒的に多く、公理から演繹できるような、圧縮可能なもののほうがはるかに少ない、らしい)を読んで、これってなんかパースの言っていることと似ているなあ、パースってすごいやつなんじゃないか。と思い出したのだが、それをきちんと把握して、調べるほどの能力がない。

自分の頭がよくなったせいで、自分の頭の鈍さがはっきりわかってきた、という苛立ち。