十月六日
at 2004 10/06 22:41 編集
昨日も結局日記を書かなかった。図書館に行き、いろいろ本を借りてきたからである。
「アメリカの数学者」「ゲーデル・エッシャー・バッハ」「ある数学者の弁明」
「無限論の教室」「ビューティフルマインド」「ゲーデルの哲学」「フッサール起源への哲学」「これがニーチェだ」「私が・棄てた・女」「イエスの生涯」「セクシーな数学」「ズニ族の謎」(これは立ち読み)
いずれも面白く読んだ。もしくは読んでいる。読んでいるうちに、だんだん、影響されて、人間関係に対して意欲を失ってしまいつつある。
こんなことをしていて、何になるのだろう、という気になってくる。自分のやりたいようにやりたいと思う。
勉強に集中できるようになって来たせいで、仕事に疲労が現れているのかもしれない。健康は回復しているのだから、断固としてここは、流されずに人間関係、仕事においても情熱を取り戻すべきだろう。
仕事の人間関係は、断然よくなってきているのだから、出来ないはずはない。
あるいは秋になってきて、精神的に落ち込みがちなのかも知れず、まさしくちょっと前に日記に書いたとおり、精神的な体調を整える必要がある。
もう一度、ドラッカーと、カーネギーを読み返し、取り組むべきだろう。
仕事において、あるスタイルを身につけることが出来てくれば、その仕事があまり重くなければ、だんだんと潜在意識で哲学のことを考え続ける習慣を取り戻すことができるだろう。
仕事と人間関係のベストな形はいまだによくわからない。わからないが、明らかにバッドであったり、ベターであるというのはわかる。わかるがそれを維持したりすることが難しいのである。
明日からは、ベターな形を思い描いて、それから逸脱しないようもう一度心がけよう。とにかくドラッカー、カーネギー。
そういえば、今朝は抜き打ちテストのパラドックスのことを考えて、一時間くらい早く目が覚めて、半分眠りながら考え続けた。
別に抜き打ちテストのパラドックスを深く考えてみたこともなかったので自分でも驚いた。
珍しいことだから、明日にでも書いて見るか。空間論もそろそろ書かなければいけないし。
自分に課せられた仕事(哲学、文学は、自分の根幹に関わる。語学はそのための手段として。仕事はやむを得ず金銭を得るために。人間関係は仕事をする上で円滑に、無駄な心理的負担を減らすために、課せられている。そしてその全体を可能にするために健康の鍛錬があり、それを可能にする大前提が規則正しい生活である。)
とにかく、気合である。