八月二十五日

at 2004 08/25 23:10 編集

ナショナリズムの快楽」というテーマで日記を書く予定だったが、予想以上に二十二日の加筆訂正に時間を食ってしまった。
だんだん「のって」きたので、そろそろハイデガーの空間論を少し引用してみようかなと思う。

そうすることによって、一般の正統的な哲学と自分の素人じみた考えの比較検討がしやすくなるだろう。

最近忘れていたユングへの関心が戻ってきた。ユングの「セルフ」という元型は、いずれも日常を逸脱した高次な統一を表すものだと記憶している。それが本当に集合的無意識に由来するかはおいておいて、そのようなピラミッドの建造から、宗教や安易な自己啓発セミナーまで、いたるレベルで人類がつい求めてしまうものであることは確かであろう。そういう生物種なのである。人類は。

しかしユングのセルフの概念は、忘我的なエクスタシーというよりは、それをも組み込んだ再び秩序化されたものであるように思う。

そうすると、エクスタシーだけではなく、それをも秩序化した自分のあり方、といえるだろう。

そうすると、人間の逸脱しがちな傾向性を、ユングのセルフのように統一された高次の秩序と、まったく回収されえない法外なエクスタシーと、とりあえず二つに分類できるだろう。この二つの関係はなんだろうか。いったいどのような違いがあるのか。私はよりどちらに惹かれるタイプなのか。

ユングの理論はつまらないものである。しかしユングの理論へいたる道は極めて面白い。

やりたいことがだんだんとたくさん増えてきた。