負け組に足りないもの

それはいろいろあると思いますが、一般的に共通するもののひとつとしては「要領の悪さ」がある。つまり要領が足りない。

秋葉原の通り魔とか、頭が悪いというよりは生き方がへたくそで、同情したくてもあまりできないような、自ら転落してるような感じ。それが要領が悪いって感じだ。

要領の良さ・悪さを改めて定義しようとすると結構難しいですが、要領の良さというものを、思いっきりかっこよく言いなおしてみると(笑わないでくださいね)「ストラテジック・マインド」ではないか。

たとえば飲み込みが悪くて不器用な人がいるとしても、その人がそれを自覚して、人一倍努力を重ねたら、自分の特性を知り、目的達成のために自分への処方箋を書いて実践したわけだから「ストラテジック・マインド」があったといえる。

でもそうしないと気分が悪いからといって、きれいなノート作りに無駄に時間を費やしたり、労力を投下しないと充足感を感じないからと無駄に努力するような人は、「ストラテジック・マインド」が無いといえる。

不器用なら不器用なりに、それを踏まえて行動する人がストラテジック・マインドのある人物でしょう。だから、要領の良さ・悪さ、という表現は少しずれていたかな。

秋葉原の加藤や、私もそれなり苦労や労力は投下してきたんだろうが、その実効性が薄かったり的外れだったりしたんでしょうね。

だから、負け組と言われる人には運も無かったのかもしれませんが、基本的には自分という人物がどういう立ち位置にいて、どこに行きたいのか。逆に社会から何を求められているのか、とかからどんな風に生きていくのか考えるという視点と技術を持っていなかったのじゃないかと…。

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こういう個人レベルのストラテジック・マインドを、自分自身をマネジメントすると表現してもそんなにおかしくは無い。

ただ、会社を経営するという意味のマネジメントとは違うのではないだろうか。両者を因数分解すれば共通項もあるだろうけども、全体としていえばまったく違うスキルではないだろうか。

もし個人が、マネジメントのこともわからないといけない、というのは、個人が自分のしている仕事が全体としてどんな意味を持っているのかを知って、仕事に意義を見出すためであったり、仕事をより効率よくするために必要ではあるけれども…。

そういう意味では、個人はマネジメントだけじゃなくて、経済情勢や社会情勢にもそれなりに通じている必要があるわけだし・・・。

格差の負け組に必要なのは、会社のマネジメントよりは、まず自分がどうして生きていたいか、そのためにはどうしたらいいかを合理的に組み立てるストラテジック・マインドなんじゃないだろうか…と思う。

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格差社会で格差つけられた人は、まずはストラテジック・マインドの欠乏を自覚するわけだけど・・・俺って不器用・・・とか頭が悪くて…という嘆き事態にストラテジック・マインドの欠乏が現れている…。

不器用だったり馬鹿だったりするのは思春期過ぎたり、少なくとも社会で仕事に行き詰まった時点で明らかなわけで・・・問題は別にそこで落ち込みすぎず、それならどうするか、という次の一手なんだけど、そこが抜けていて落ち込みループに入ったり、一手を打ってもそれが拙劣すぎて「会社を逃げるようにやめる」だったりする・・・。

前の会社を短期間で辞めて原因を修正せずに、年齢を食った分不利な状況で転職しても、行き詰まりはまたやってくるわけで・・・スパイラル・・・。

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一般にいろんなスキルに対して言えることだけども、複雑性の高いスキルは、習得するのに年月が必要になる。要領よく生きる、戦略性を持って生きるとかというのは自覚したからといって急には習得できない。

モノの本によれば「十年ルール」というのがあって、複雑性の高いスキルは、どうにかいっちょ前の実力をつけるには、どうしても十年はかかるらしい。

二十年、三十年やみくもに生きてみたらどん詰まりに来てしまいました、という人にはすぐに聞く特効薬は無いんだろう。

ライフイベントにかかわる「恋愛」とか「コミュニケーション」は、時期を逃すと最適な形では習得できなくなるから(外国語みたいなものだ)、長いスパンで勉強していくしかない。

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生き方の戦略というとずいぶんと大げさで、「そんなもの意識して身に付けた記憶ない」という人もいると思う。そういう人でも運がよければ、格差社会のマイナス面を食らわないだろうし、また自覚していないだけで、自然に体に身についているっていうケースが多いだろう。

けれども、学習能力の敏感期(たとえば外国語みたいな感じ?)を過ぎて、人生に必要なさまざまな個別スキルと、それを統合して運用するストラテジック・マインドは、自覚的・人工的に身に付けるしかないよな・・・。

長い道のりだけれども、長い人生、塞翁が馬だ。取り返しのつかない決定的な暴発(秋葉原の事件みたいな)さえしなければ、遠回りでもいい方向にいけるはずだ。

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v字回復の経営の三枝先生は、苦境を体験することは重要な経験になるが、あまりに悲惨すぎる体験は、情報の感受性をゆがめて、ネガティブな情報にだけ敏感になる(悲観的になる)からよくない、という趣旨のことを言っておられる。

ストラテジック・マインドもなく、何とか時代や環境に恵まれて壁にぶつからずにすむ幸運もなく、気が付けばきっつい状況でのた打ち回っているうちに、そういう風に感受性がネガティブなほうに敏感になってしまう。

まずは意図的にそこを修正する必要があるんだろう。

自分は体験しておらず、実感はできないんだけれども、理屈から言って、世の中悪いことばかりではなく、悪い方向に行くときは、それ自体は悪いことじゃない事象まで悪いほうに荷担していくけど、その逆もあるんだ、ということを人工的に信じなくては行けない。悪い経験もよい経験も、統計を取ったらきっと正規分布するはずなんだから

心から信じられなくても、この理屈を信じるところからはじめないとな。

そしていろんな経験則とか、先輩・同輩たちの話を聞いて(最近自覚するが、下手な自己啓発本より、世間じゃありふれた市井の人かもしれないけど、身近にいる人たちから学べることが腐るほどある)、自覚的に個人をマネジメントするスキルを高める=ストラテジック・マインドを身に付けていけばいい。

自分はいろんなビジネス・自己啓発本を読んで勉強しつつ(飽きてきてもいる)、最終的には論理療法みたいな合理的な考え方がいいと思ったし性に合っていると思って、もっと実践しようと思っているところだ。

アルコール中毒と同じで(論理療法の本にも書いてあったし)、必ず人間にはゆり戻しや失敗もあるんだから、また下手こいてしまっても、自分を無価値な人間とはみなさないようにしよう。

アルコール中毒だと、みんなで失敗を公開して、励ましあう断酒会というのがよくアメリカの映画なんかで出てくる。(科学的データとしては疑問も大いにあるらしいけど)

ああいう励ましあう集まりっていいなと思う。

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いい意味でも悪い意味でも、日本の社会が変わってきて、ちょっと不器用とかストラテジック・マインドが足りない人がどーんと負の方向に突出してきているように思う。

鎖国で鉄砲や大砲の技術革新が西洋に比べて停滞していたように(また社会の安定のために停滞させられていた)、自分をマネジメントするという考えやロールモデルが、戦後何十年かでかなりお寒い状況になってきたのかもしれない。

だから格差負け組の人は、この試練を乗り越えて、さらに日本を襲うかもしれないどん底でも生き抜けるように、オランダ語(笑)とか英語の知識をむさぼるように求めた幕末の人みたいに、知恵を求めて報告しあっていけたらいいな・・・と思う。

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↑とかえらそうに書いておいて、「あの犯人、凶行に至る数年前は、こんなえらそうな前向きなことを書いてた」とかネットでわらわれないようにしないとなあ・・・。