ろばの強くなりたい日記

at 2004 05/27 19:51 編集

熱が出て暑いのか、ただ気温が高くて
暑いのか、よくわからなくなる。

脱水症状に気をつけて、水をできるだけ
飲むようにする。

食欲はあるが、体中がまだ痛むので、
鎮痛剤を飲む。本当はよくないと
思うのだが、痛みに弱いので。

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暇に任せて、最近買い集めた
古武術関係、健康法関係の
書籍をいろいろ読み返す。

甲野義範氏の「表の体育 裏の体育」
肥田式強健術の引用文を
何回も読む。

何回読んでも、独特の語感、迸る
パトスに、快哉を叫ぶ。とはいえ、
肥田式強健術をやってみようとは
思わない。

あれは僕がやっても効果があるという
ものではなさそうだ。
肥田式を今でもやっている人々は
いるようだが、肥田春充本人ほどの
恐ろしいほどの健康体や、
超常的な能力の発展が起きているわけ
ではないと思う。

ヨガやその他の東洋的健康法、
また合気道などの格闘技にも
言えることだが、創始者
常識では考えにくいレベルの能力を、
認めたとしても、それを弟子がほとんど
再現できないのでは、その流儀に
対して懐疑的にならざるを得ない。

ある限られた人には、創始者のたどり
着いた尋常ではないレベルに、近づける
ことができるのかもしれないが、
一般の我々がやってもそうなれる保障が
ないのなら、やるだけ無駄だと思う。

これは何事にもいえるのであって、
ようするにあらゆるジャンルには、
突出した才能の持ち主がいるのであって、
彼らに有効だからといって同じことを
我々がまねてもうまくいくはずがない。

自分の身の丈にあった方法で、
向上を目指すほうが有効だと思う。

甲野氏も肥田春充のことを評価を
しているが、それをそのまま
まねすることにはあまり
意味がないというスタンスを
とっていると思う。

ヨガにも興味を持って調べてみたが、
宗教的な色彩が強いのと、
熟練しないとなかなか極められそうもない
のが気になった。
別にそこまで労力を裂きたいと思わない。

座禅もよさそうだが、いろいろ
禅の坊さんの本を読んでみると、
なんかいやーな印象を受けるとき
が度々あり、また、悟りにいたる
ことができるのは、ごく少数の
人たちで、それ以外には挫折者が
たくさんいるという話も聞き、
素人が下手にかじると、熱心に
やればやるほどおかしくなったり、
変なカリスマにだまされそうに
なる気がして、やめた。

ハイデガーやその他海外の著名人と
対談し、京都学派にも関係が深い
と思われる久松真一の対談を
図書館で読んだことがあるが、
私としては、まやかしにしか思えない。

禅というもの自体には魅力は
感じるのだが、それは勘違いに
もとずくものなのか、現代においては
それは得られないものなのか。

いずれにしろ、身体、精神を鍛える方法
としては、座禅はやめておこうと思った。

禅の真価を僕がぜんぜん理解しておらず、
浅はかに食わず嫌いをしている
可能性もあるが、そういう食わず嫌いも
含めて、「私とは縁がない」という
感じがある。

これは甲野氏と養老氏の対談集で
出ていた見方だが、ヨガは身体に、
禅は精神に介入していく技法
だと感じた。

だからヨガなどは、生半可にやると、
本来からだの持っている調節機構
に介入したはいいが、その
チューニングが狂ってしまい
危険だという話も載っていた。

達人は心拍数や呼吸などもコントロールできるというから、ヨガが有効な技法である
としても、生半可にやるべきではないだろう。

そういう観点で、ヨガもまた禅と同じく
僕とは縁がないなあ、と感じる。

その点ストレッチは特に訓練しなければ
できないものではないし、
血行がよくなり、体調がよくなるのは
確かだし、劇的に身体に(いいにしろ
わるいにしろ)影響を与えるほどの
技法でないから、かえって安心できる。

ストレッチングはヨガの技法を西洋
流にアレンジしたものだから、
ヨガを万人向けに薄めたものと
いえるのかもしれない。

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甲野氏が言及する野口整体
本も二冊ほど買ってみた。

ちくま文庫の整体入門と、風邪の効用
という本である。

なかなか興味深いが、「気」や、
本当にあらゆる病気を背骨に
還元して考えるという方法が
正しいのか、いろいろ引っかかった。

クレッチマーの体型論が万人には
当てはまらないが、確かにそういう傾向
はある、というのと同じレベルで、
そういう人間の見方もあるのだなあ、
と感心する程度だ。

野口整体には、活元運動といって、
無意識の体の動きを誘発し、
体の調節を図る方法があり、
ちょっと面白そうなので、
こっそり何度かやってみたが、
どうも動かない。

なんとなく動き出すときもあるのだが、
結局は頭で動かしている気もして、
本当の活元運動ではない気もする。

さらに、目をつぶって体の中の
自発的な動きを待つ、という方法が、
なんか自分の被暗示性を高めてしまう
気がして、よくない気もする。

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