Google化の意味

勝間和代さんの「効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法」が売れていますが、ずばり「グーグル化」の意味が私にはなかなかわかりませんでした。

本の中ではGoogle活用法も紹介されてはいますが、全体の一部でしかありませんし・・・。

そんな時目からうろこだったのがこのKogaiさんのブログ記事でした。

”我々全員の知的生産性を10桁上げる方法”
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50996823.html

変な引用はしません。是非元記事をお読みください。

以下、自分なりに受け取ったモノを述べてみます。これはKogaiさんの意見とは異なりますのでご注意下さい。あくまでドンキーの考えです。

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【たとえ話】

欧米の学校などではよく秘密結社とか、学校の部活動とは違うクラブとかサークルがあるみたいですが、その一つに「G」というサークルがある。特に秘密めいたことをするわけではないが「日々の学びを分かち合う」ことを目的としている。そうすることでメンバー個人個人の知性も向上するという信念なのだ。だから知を独り占めしたりその希少性を元に金を儲けたりすることは許されない。

そんなサークルに参加するに当たってはメンバーたちに要求される条件があるはずだ。そのサークルに知の共有財産をたくさん与えたものが尊敬されるから、メンバーたちは情報のインプットとアウトプットを最大化しなければいけない。なおかつ、メンバーに共有してもらえるようにそれを構造化する必要もある。

そのやり方を記したマニュアルは、一読すると「個人の知のアウトプットとインプットを最大化するマニュアル」とほとんど同じに見える。だがそうではないのだ、その本はあくまで秘密結社「G」の知の財産を増すために構成員がどう振舞うべきかの教則本なのだ。「G」の共有財産が増すことで、結果的に構成員である個人の知が増すことになるのだ・・・。

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秘密結社「G」は言うまでもなくGoogleで、教則本は勝間さんの本のことです。従来の知的生産法の本と異なるのは、そこだと思います。

勝間さんの本で「知的成果はGIVEしてGIVEしまくれ」という趣旨のことが書いてありますが、それは何故か?普通に考えたらそうは言えない筈ですよね。知の財産を共有しようという仲間とそれを可能にするツールが前提にならなければ、GIVEだけじゃ知的生産性は向上しませんよね。

知的成果をGIVEしまくるだけではなく「しまくりあう」ことで知的生産性が向上するのだと思います。明示的に記されてはいませんが、結社【Google】を媒介にしないと勝間さんの主張は成立しないと思います。

今までの知的生産性の本も検索エンジンやネット化に対応していますが、根本姿勢が「ある個人の知的生産性を高めるために、いかに検索エンジンから情報をひっぱってくるか」だったと思います。知的資源をいかに効率的に活用するかだけではなく、自らを知的資源化して提供するその結果、あたかも結社【Google】に参加しているかのような効果が生まれる。

Googleは世界中の人類の知的財産を整理することが目的らしいですから、もはやGoogle化の意味は私個人にとっては明瞭なものになりました。

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そう考えると、やはり真の意味でのクリエイティブな仕事、オリジナリティのある仕事はなかなかGoogle化にはそぐわないのでしょうか。うまくいえないのですが、ある程度以上の真にクリエイティブもしくなオリジナリティを持った仕事は、通常人に理解できるような形にしようとするとその一番重要なものを失います。(主に哲学や宗教的体験のようなものを念頭に述べています)よく言われる「知の衆愚化」が起きてしまいますね。(その本質が万人に理解しうるものではない知というものも存在します)

しかし量的に言えば、そういう真にオリジナリティを持つ仕事は1%どころか人類全体の仕事の万分の一もなく、まだまだ共有化しうるのに未整理で共有されていない知の成果の方が圧倒的に多いかと思われます。

結果が同じく個人の知を高めることなので区別しにくいのですが、結社「Google」みたいなものを媒介にしている点で、勝間本と従来の知的生産性本は大きく異なるのだと思います。

以上の私の解釈ですが、いかがでしょうか。