ドラッカーとエリート
ドラッカーをよむとき2つの矛盾を感じる。
矛盾というとやや言いすぎで2つの感性とでも言うべきか。
一つはナチスや社会主義みたいな全体主義への嫌悪。
リーダーの条件からカリスマを否定したりするところや、知的労働をするための自己管理は才能ではなく習得しうる習慣だと語る面によく現れている。
だが彼の小説「善への誘惑」には逆に社会的階層という意味ではなく、必ずどの社会にも少数生まれる優れた人間はいるということが大前提になっている。
ドラッカーの労働観は基本的にかれじしんのレベルに影響受けていて、全ての知的労働者があたかも経営者であるかのように視野を広く持って、意義を見い出せるわけではない。理想というかモラリスト的すぎる。
いわば誰にでもあることだが、ドラッカーにも顕教と密教があるということだと思う。